そこの「距離無し」に告ぐ

4834001539わたしとあそんで
マリー・ホール・エッツ
福音館書店 1968-08

by G-Tools

自分で言うのもなんだが、私は表向きには人当たりのよいフレンドリーな人間である。
ここ半年ほど接客のアルバイトをしているが、どんなにムカつく客であろうと本人の前ではにこやかに対応できる自信がある。仕事だと思えば理不尽なクレーマーにペコペコ頭を下げるのだって全然平気だ。

しかしそれはあくまでも営業用の顔。プライベートの自分は、かなり人の好き嫌いがはっきりしている方だ。初対面でニコニコしているからと言って、いきなり10年来の親友のような馴れ馴れしいそぶりで迫ってこられたら、威嚇こそしないがかなり引く。

他人と接するときにお互いが快適でいられる間というものがある。
相手との心理的な距離によって自然と定まる不可侵領域のことを専門的にはボディ・ゾーンというらしい。要するに人間にもそれぞれに縄張りがあり、赤の他人にそれを侵されると本能的にストレスを感じるのだ。
ところが、この距離感が分からない人たちがいる。いわゆる、
空気が読めない人々だ。
彼らに「関係者以外立ち入り禁止」の看板は目に入らない。
見えない壁なんてものともせずに、土足でプライベートに踏み込んでくる。
こちらにそんな気があろうとなかろうと、「友達になって」攻撃。
「私達ってとっても仲良しよね」という思い込みで、好意の押し売りと期待。
彼らは多分、基本的には善意の人々だ。悪意はないからこそ、こちらに拒絶されたと分かると「どうして?!」と拗ねたり泣いたり、ヘタすると逆恨みしてストーカーになったりする。

そんな人々に「これでも読んで出直してきて下さい」と渡したいのがこの絵本。
野原に遊びに来た女の子が、遊び相手になってくれそうな虫や動物を見つけては片っ端から無邪気にアプローチするのだが、突然手を伸ばされて驚いた動物たちはみな一様に逃げていってしまう。
「だれもわたしとあそんでくれない・・」としょげかえり、一人さびしく綿毛を吹く女の子。その姿は抱きしめたくなるほど何ともいじらしい。
ところが、女の子がそのままじっとして音を立てずに待っていると、動物たちが戻ってきて彼女にじわじわ近づいてくる。
彼らは彼らで慎重に相手を観察し、危害を与える存在ではないか確かめていたのだ。
やがて、女の子の周りにはいつの間にか声を掛けた動物みんなが集まり、子鹿がほっぺにチューまでしてくれてハッピーエンドとなる。
この時の女の子の笑顔は本当に幸せそうで、こっちまで嬉しくなる。

社会性のある動物である人間として、誰かと親密になりたいという感情はごく自然なものだと思うが、新しい関係を築くには暗黙のルールがある。
赤の他人→初対面→知り合い→友達というふうに段階を追って相手のバリアを解除する手続きを踏まなければ、拒絶されても仕方がない。
「私を分かって!」と自己主張していいのはかなり関係が構築された後のことだ。
初対面の相手には、謙虚な態度で臨むべし。


ところでネットの世界では、この段階を追うルールを無視できてしまう。
全世界に公開してしまうオフィシャルな顔でありながら、業務用サイトでない限り営業スマイルやフレンドリーな表キャラは必ずしも必要ではない。
良くも悪くも、最初からありのままの自分を晒して気に入ってくれた人だけが見てくれればよいという独りよがりが通用してしまうのだ。(そういう私のブログも思いっきり独りよがりなわけだが。)
また、リンクやトラックバックで相手と自分とのつながりを勝手に作ってしまうこともできる。しかもそれはある意味「私たちってば関係者なの♪」と世間に公表しているようなもので、よく考えると結構怖いシステムである。
だからこそ、こうしたコミュニケーションのルール無視はあくまでもネット上だけの例外であることを忘れてはならないと思う。ネット上でいくら突っ込んだ論議を交わした相手でも、リアルで会ったら初対面同士としての礼儀が必要なのである。
くれぐれも、初オフでいきなりタメ口をきいたりしないように。(自戒!)
  

【この絵本に関するお気に入りあれこれ】
・よるうまれるはなし/yoruhanaさんのシンプルであったかい書評
・OKI*IKU Noteよんさんのセンス・オブ・ワンダーな書評
・週間絵本新聞/さいとうじろうさんの育児経験者納得の書評
・絵本工房店長/溝江玲子さんのコドモの感性に脱帽エピソード
・原体験教育研究会/大西あい子さんの実写版「わたしとあそんで」
・絵本と子どもの本が好き!/hirobonさんの正統派解釈を読んで改めて絵本の懐の深さに感謝する