あなたにとってのわたし

watashi.jpgわたし
谷川 俊太郎 長 新太
福音館書店 1976-10

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「あなたにとって、私ってなんなの?!」

いきなりだが、男女関係の修羅場用語として割とベタな一例を挙げてみた。
さて、これに対する正しい回答は以下のうち、どれか?

 1.「決まってるじゃないか、一番大切な人さ。」
 2.「じゃあ君にとって僕はなんなんだ!」
 3.「そういえば、考えたこともなかったな…。」
 4.「フッ・・・ただの遊びだよ。」
 

もちろん1が正解だろうと思ったそこのアナタ、アナタは甘い。
この修羅場において実際にこんな歯の浮くようなセリフを言える男は映画かドラマの中にしかいない。まして日本男性の多くは照れという大きなコミュニケーション障害を持っているので、内心そう思っていたとしてもまず口に出すことはない。むしろ咄嗟に平然とこんな甘言が出る男性がいたら、相手の誠実さを疑った方が良いかもしれない。
2の返答は単なる逆ギレであり、何ら解決にならないだけでなく、状況をより悪くさせる可能性が高い。どうせ潮時ならば4ぐらい開き直ってしまった方が結論が早い。
というわけで、なんと模範解答は3なのである。バカ正直だが、不誠実ではない。もちろん相手の女性はこれを聞いて「なんですってぇ〜!!」とさらに激高するかもしれない。しかしそこで「じゃあ、これから一緒に考えてみよう」と話を前に進めることで、不思議とお互いが冷静になれるのだ。とことん話し合ってお互いの認識の違いをはっきりさせるもよし、すり合わせるもよし、あるいは白黒つけずに「要するに私たちって空気みたいな関係なのよね♪」とウヤムヤに仲直りするもよし…いずれにせよ単なる罵り合いよりは実のある話が出来るだろう。


恋愛関係に限らず、およそあらゆる人間関係のトラブルの多くは、このお互いの存在に対する認識の違いから起こると思われる。「親友」だと思っていたのに「金づる」と思われていたとか、「憧れの先輩」のつもりが「ウザイお局」と思われていたとか、「愛妻」のつもりでいたのに「住み込みの家政婦」と思われていたとか、…哀しい思い違いの実例は枚挙にいとまがない。
そんな人間関係のややこしさにお疲れのアナタに、オススメの絵本がある。

自我が芽生えつつある「わたし」が、改めて周りの人から見た自分を考えてみると、なんとも多種多様な「わたし」がいることが分かる。オトナにとっては当たり前に思えることでも、ついさっきまで世界の全てが自分を中心に回っていた幼い人にとってはこの発見はどんなにか新鮮な驚きであろう。人はこうしてオトナになっていくのだなぁとしみじみしてしまう。
それにしてもコドモの世界というのはやはりシンプルでうらやましい。「おかあさんから みると むすめの みちこ」なのは確かだが、母親のほうは「(○○だけど×××で、△△なところがあって□□□な)むすめの みちこ」なんて複雑な感情を抱いていたりする。でもそんな余計なことに無邪気なみちこは気が回らない(ただし、表現できないだけでむしろ敏感に感じ取っているコドモが多いので要注意)。
その単純さが清々しく、複雑な思惑が絡み合うオトナ関係に疲れた頭がホッとする。
ちなみにこのページのおかあさん・おとうさんの絵は、いわゆる一般的な父母の姿ではなく、あくまでみちこにとってのおとうさん、おかあさんが描かれているのがいい。さすが巨匠コンビ、さすが福音館、心憎い演出だ。


一般に男の子より女の子の方が精神的に成長が早いと言われるのは、外見を気にすることによって他人に自分がどう映るか、つまり「相手から見た自分」というものを早くから意識するからではないだろうか。もっとも、最近はおしゃれなママ達の努力のかいあってミニ伊達男も巷でよく見かけるようになったが…ということは男も女もより幼い頃から自分と社会との関係性を客観視できてもよさそうなものだが、なぜか反対に、公私の場の区別がつかなかったり、他人の立場を思いやる精神的成熟を感じさせない若者が増えているように感じる。自意識過剰が過ぎると客観性が失われエゴだけが残るのだろうか。
自我が芽生える頃に何を発見し、何を感じるか…そのへんにこの謎へのヒントがあるような気がしてならない。


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