「豊かさ」は手に入れたものの…

 

4834001598だるまちゃんとかみなりちゃん
加古 里子
福音館書店 1968-08

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ふと手帳の購買予定品リストを見て、だいぶ前から内容が更新されていないことに気がついた。そういえばここ数年間で、私の物欲はどんどん希薄になってきているような気がする。
もともと若い頃から物欲ギラギラタイプの人間ではなかったので、「ま、これも一種の老化現象かしらん」などと暢気に思っていたのだが、なんのことはない、これこそ今日日の日本の一般大衆の消費傾向の特徴であり、経済成長にブレーキをかけている要因であると偉い人たちが指摘する「消費欲求への切実さの欠如」そのものだ、ということに最近気がついた。日頃、マスコミに誘導されるような消費活動に迎合しない価値観を自負していただけに、「なーんだ、私もしっかりマーケティングされてる井の中の蛙ってわけか…」と、一人で苦笑している。
 

ところで、かつて日本には消費活動への切実かつ健全な欲求が人々の心に溢れていた時代があった。当時の人々がいかに経済とテクノロジーの発展に明るく豊かな未来を夢見ていたかを感じさせる一冊の面白い絵本がある。
高度成長期まっただ中の1968年に初版が出た「だるまちゃんとかみなりちゃん」では、主人公のだるまちゃんが空から落ちてきたかみなりちゃんに誘われて雲の上のかみなりちゃんワールドを訪れる。電力システムが高度に発達したかみなりちゃんワールドでは、町中いたるところに立つアンテナから電波が飛び交い、家庭内においても人々は夢のように便利で豊かな生活を享受している。特に象徴的なのは最後の方に出てくるかみなりちゃん宅での夕食のシーンの描写で、なんとほんの数時間前のだるまちゃんとかみなりちゃんの様子を遠隔操作で録画したと思われるホームビデオを、薄型テレビ(もちろんカラー)で鑑賞しつつ家族揃って豪勢な食事をしているのである。
 

約40年後の現在、このシーンで使われている家電の在り方はごく一般的な日本の家庭の現状とほぼ一致しており、東大工学部卒の科学者であった作者ならではの未来予測図の正確さに舌を巻く。(ただし、この国の住宅事情の貧困さは経済の急成長をもってしてもいかんともしがたい為、キッチンからダイニングまでベルトコンベアで料理を運ぶ酔狂が実現している一般家庭はまずないとは思うが(^^;))。また、やたらと品数が多くゴージャスな料理が並ぶ食卓の様子は、かみなりちゃんの家が特別に金持ちというよりも、この食卓が象徴する未来の豊かな生活への憧れが現れているように思える。テーブル一杯に並ぶごちそうが家族の幸せの象徴だった時代であったとも言えよう。
 

確かに、便利で豊かな時代と環境に暮らす現代の日本人は、中流であれ下流であれ、世界規模の経済ヒエラルキーで言えばとても恵まれていて、望んだとおりの幸せな未来を手に入れたはずである。その意味では、加古里子氏が描いたハッピーなSFファンタジーは今後も次々と実現されていくのだろう。しかし、もはや人としての基本的欲求は満たされた今、さらに生活が便利で豊かで文化的になればなるほど、未来に対しての明るい希望や夢を持って生きる活力が失われていくというP.K.ディック的なSFアイロニーもまた、じわじわと確実に現実になりつつあるという気がしてならない。「豊かさ」と引き換えに私たちが失いつつあるもの、その喪失がもたらすものの大きさを、決して侮ってはならないと思う。
 
 
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