澄んだ瞳の見つめるもの

4062118408復刻版ちいさいモモちゃん〈2〉ルウのおうち
松谷 みよ子
講談社 2003-04

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私はこう見えても(読めても?)けっこう涙もろい人間だ。でも、人それぞれに泣き所が違うように、私の場合は単純に悲しくて泣くことはあまりない。お別れ会などの人が普通に泣きまくる状況で、自分でも不思議なほど涙が出てこない。痛くて泣くこともまず無い(2回の出産では分娩台の上でほとんど笑っていた)。嬉しくて泣いた思い出というのも、とんと思いつかない。嬉しい時は殴られても笑っていられるタチだ。

そんな私の涙腺を刺激するのはいつも「切なさ」だ。小さくてカワイイもの・立場の弱い者がめげずに頑張る様子を見た時、大好きな相手に思いが伝わらない時、自分にはどうにもならない状況に、泣く。すぐに泣く。いくらでも泣く。特に「イタイケなもの攻撃」にはめっぽう弱く、映画に幼い子どもが出てくると、たいてい見終わる頃には目と鼻が赤い。

今日の絵本も、そんな私の弱点をくすぐる絵本だ。
ちいさいモモちゃんは、コドモらしい無邪気な残酷さで、突如お気に入りのぬいぐるみのルウに向かって暴言を吐く。

「ぷっぷっぷっ、ルウなんて いらないもん。 おうちへ かえりなさい。」

行き場のない相手を平気で追いつめるようなことを言うのがコドモだ。
そしてルウは…

ルウは、すこし ないていたみたいでした。

一人で少し泣いて、何も言わずに家を出たルウ。深く傷ついたであろう彼の気持ちを思うと、切なくてたまらなくなる。
一方モモちゃんは、自分で追い出しておきながら、本当にルウが行ってしまったことに気がつくと「やあよう」なんて泣いて駄々をこねる。この身勝手さもまた、世界は自分中心に回っていると信じて疑わない幸せなコドモのあるべき姿であろう。
モモちゃんは自分のしたことを省みもせず、さっさと気持ちを切り替えてルウを探しに出かける。ここで必要以上にクヨクヨしないモモちゃんのたくましさが好きだ。モモちゃんがオトナの女なら「わたしのせいだ、あんなこというんじゃなかった…」と後悔と自己嫌悪で落ち込むかもしれないが、コドモはひたすら前向きな生き物だ。本能的にどうすればいいかだけを考え、どんどん行動に出る。
モモちゃんは一人で、愛するルウを探して歩く。実はルウは、もうかなり汚れたボロボロのぬいぐるみであることが、道すがら出会った動物たちとの会話からうかがえる。そんなルウを恋しがるモモちゃんの純粋な気持ちが嬉しい。
モモちゃんが森の奥まで探しに行くと、ようやくルウが見つかる。ルウは、モモちゃんにいじめられたことなんかすっかり忘れたように、屈託なく喜んで彼女を出迎える。

ルウは、どろんこに なって、 おうちを つくって いました。
「ぼく、おうちが ないから つくったの」
ルウは、うれしそうに いいました。
「そいでね、モモちゃんの いすも つくったよ。」

健気なルウの姿もまた、幼いコドモそのものだ。愛する人の理不尽な仕打ちに傷ついて泣いても、遊びに夢中になればすぐに忘れてしまえるたくましさ、心の寛さ。人を自分を信じる気持ちに影の差し込まない、無知ゆえの健全さ。生命力の塊のような彼らには、過ぎたことををいつまでも悔やんだり恨んだりしている暇はないのだ。屈託なく、ひたむきに前を向いて生きている彼らの姿に、私はいつも励まされ、読むたびに小さい人たちへの愛しさがこみあげてくる
願わくば、彼らがその強い心を持ったまま大きくなれますように…。