愛すべき映画と、永遠に愛される原作

choko2.jpgチョコレート工場の秘密
ロアルド・ダール/田村 隆一 J.シンデルマン
評論社 1972-09
以前BOOK BATONでもふれた通り、私が子どもの頃一番好きだった本はロアルド・ダールチョコレート工場の秘密だった。
先頃公開された映画「チャーリーとチョコレート工場」のお陰でこの数十年来の愛読書がにわかに世間で注目され、あっちこっちで色んな人がこの原作について、映画について語っている。それらを見聞きするたびに沸き上がる一つ一つに首を突っ込んであれこれ語りたい気持ちを抑え、まずは映画化された当の作品を観ないことには…と悶々とする日々だった。昨日はあいにくの悪天で予定していた子どもの園行事が延期され、ヒャッホー!と小躍りしてさっそく娘と上映中の吹き替え版を観に行ってきた。そして今日、ようやく大好きなこの作品について思う存分語れると思うと、とても嬉しい。

始めにおことわりしておくと、私が幼い頃から親しんできたお気に入りの原作とは、今となっては旧訳版と呼ばれる田村隆一氏の翻訳によるものである。映画の公開に先駆けて柳瀬尚紀氏の手による新訳版が大々的に売り出され、既に絶版となっている旧訳版はすっかり入手困難になってしまったようだが、幸い私の手元には十数年前にどこかの古書市で偶然買った初期のハードカバーが残っている。奥付に「昭和55年 初版8刷」とあり、定価980円。いまや稀少本となった名作だ。
新訳の方は一度読んでみないことにはなんとも言えないが、田村氏の訳でこの本と出会い、その表現を暗記するほど繰り返し読んだ自分は、少なからず違和感を感じることになるだろう。
※旧訳版の復刊リクエストは、こちらへ。

この物語の魅力といえば、後半の奇想天外な世界が広がる工場内のエピソードもさることながら、貧しく平凡な少年が千載一遇のチャンスをものにするまでの紆余曲折を描いた前半部分も捨てがたい。最後の当たり券を手に入れられるかどうかのハラハラドキドキも楽しいのだが、何よりもチャーリーを優しく見守る家族の深い愛情に心が打たれる。誕生日プレゼントのなけなしの一枚をめぐって、チャーリーの失望を案じてそれぞれに気遣いを見せる大人たち。子供を持つ身になって読み返してみると、貧しいながらも精一杯、孫を息子を慈しもうとする彼らの思いが痛いほど分かるようになり、なお切ないのだ。
そしてダールは、貧乏故に子どもにとって一番必要な食べ物(=愛情)だけをふんだんに与えられて育ったチャーリーと相対するように、裕福ゆえにスポイルされてしまった子ども達のあわれな姿を痛切に描き出す。今読むとこの対比は子ども達への教訓というより、オトナたちへの問題提起のように思えて、作者の洞察力に恐れ入る。子どもはみな素晴らしい可能性を持った存在であるが、扱いを間違えればあっという間にモンスターになってしまう。愚かな親たちは、可愛い我が子の真の姿を見せつけられ、その責任を取らされたのかも知れない。もっとも、それで気が付けばいいけれど…。

ところで以前こちらのエントリーでも述べたように、この物語の核となる工場主のウィリー・ワンカ氏は、私が思うフィクション界きってのエンターティナーであり、愛すべき「上質な変人」である。誰にも理解できない深い孤独を抱えた彼は、愛されたいが故に人を楽しませることに必死にならずにはいられない生まれながらの芸人なのだ。彼が世に送り出す魅惑の菓子の数々は、世界中の子ども達へ向けた彼なりの愛情表現とも言えよう。
全てを持つ孤独なオトナと、愛しか与えられるもののないちっぽけな存在である少年が巡り会う運命の物語。私はこの作品のテーマをそんな風に読み解いている。


さて映画の方の感想だが、一言で言うなら「予想以上に原作に忠実だった」と思う。それでいてやはりこれは、紛れもないバートン作品として完成された作品であった。制作側の原作への深いリスペクトがバートン一流のこだわりとなって作品中に満ちていて、双方のファンである私は始めから終わりまで感激の思いが絶えなかった。
バートンによるリメイク、それだけでこちらの期待はウナギ登りではあったのだが、多くのファンに評価されているとおり、チャーリーとその家族のライフスタイルは完璧といってもいいぐらい原作に忠実に再現されていた。狭いベッドから思い思いに孫への愛情を表現する老人達と、それをそっと見つめるバケット夫妻の姿は旧作のJ・シンデルマンの挿絵そのもので、貧しい一家の希望の灯火として愛情一杯に育つチャーリーの姿に目頭が熱くなった。欲を言えば、私が原作の中でお気に入りだったジョーじいさんのへそくりでチャーリーがチョコを買ってくるシーンがあっけない終わり方でちょっと物足りなかった。原作では(読者と同様に)運命を信じ、知らず知らずのうちに当たりが出ることをかなり期待していた自分たちのこっけいさを笑い飛ばすジョーじいさんの姿が描かれていて、逆境にめげず人生を楽しむこの人物が作者ダールの姿と重なり、作品をより味わい深いものにしていた。一見ダークなストーリーに隠された、人生に対するポジティブなメッセージ…ダールの作品にはそんな一粒で2度おいしい粋な作品が数多くある。


ところで、観る前の前評判から私が唯一気になっていたのは、私がこれまで抱いていたワンカ氏のイメージとジョニー・デップの端整な顔立ちがどうしても相容れなかったという点だ。ワンカ氏を演じるにはデップはあまりにも美しい役者だ。美しすぎる変人は人を怯えさせるものだ。異質な存在感が際だちすぎて、変人というより狂人に見えてしまうのではないか…? 案の定、彼を主役に据えたことで作品のカラーはかなりブラックなものになっていた。私の知っている原作のワンカ氏はあくまでもイノセントな変人かつ芸人で、彼の持ち芸披露の結果としてたまたま居合わせた愚かな親子に教訓がもたらされるというプロットが痛快だったのだが、バートン映画のウィリー・ウォンカはかなり屈折した、明らかに他人に対してある種の敵意を持った人間として描かれていたのである。
結果としては原作にないウォンカ自身の生い立ちストーリーを絡めることで、さすがバートン、うまくまとめたなという印象だが、私はこのバートン風味のアクの強さがこの映画の何よりの魅力であると思う。

カカオ増量でよりビターになったオトナ用ワンカのとびきり特製チョコレート。その甘美でスパイシーな風味は、かつてオリジナルの味に夢中になった人にこそ味わって欲しい。


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