遊び力がコドモの財産

びゅんびゅんごまがまわったら
 
 
家で子どもとトランプをすると、結局ババ抜きと神経衰弱ばかりになってしまう。しかも真剣勝負するとあっさり大人が勝ってしまい、親も子も何だかつまらない。そこでネタを増やそうと「新しいトランプの遊び方」なる本を図書館で借りてみたら、意外にも幼児でも大人と対等に遊べるゲーム法がいくつも載っていた。
しかし、
 ・帽子などを的にして自分の持ち札を順番に投げ、誰が一番たくさん入るかを競う。
 ・床のスタート地点にカードを並べ、一斉に息を吹きかけてゴールまでの早さを競う。
 ・テーブルの端を崖に見立て、それぞれの持ち札を加減して弾いて誰が一番端ギリギリに止められるかを競う。落としたら負け。
 
…これってトランプゲームと言えるのだろうか(^^;)?
 
要するに、トランプを遊び方の決まっているゲームの道具ではなく、単なる遊びの素材(=大きさ・形が同じで滑りが良い丈夫な紙片のセット)だと思えばいくらでもシンプルな遊びができるのだった。はっきり言ってトランプの本来の用途は無視されているが、こういう身体を使う単純な遊びは断然コドモの食いつきがいい。今までになく場が盛り上がり、それから毎晩のように我が家の居間ではカードが飛び交っている。
 
もっとも今ほど既成の玩具が巷に溢れていなかった時代には、子どもたちは皆当たり前に、限られた素材をあらゆる遊びに活用したのだろう。それで思い出した絵本が、「びゅんびゅんごまがまわったら」。
 
子どものケガをきっかけに閉鎖されてしまった校庭脇の自然の遊び場。これを何とか開放してもらおうと子ども達が校長に直訴しに行く。ところがアマノジャクな校長はいきなり得意のびゅんびゅんごまを披露して見せ、
「まわせるようになったら、たのみも きこうじゃあないか。」
と、不敵に笑うのだった。必死で練習を重ね、ようやく技をマスターした子ども達が勇んで校長室をたずねると・・・
 
作中には豊かな自然を素材にした昔ながらの素朴な遊びがたくさん出てくる。そうだ、私たちはもともと誰もが生まれつき遊びの天才で、身の回りの全てを玩具にしてしまうクリエイティブな生き物だったのだ。整地され安全な遊具の揃った校庭に比べ、雑木林にほんの少し手を加えただけの遊び場は危険と隣り合わせだが、それだけに刺激と発見に満ち、子ども達の豊かな遊び力が存分に発揮できる。遊び場を駆け回る子ども達の絵からは歓声が聞こえるようで、一人一人の生き生きとした表情を見ているとこっちまでわくわくと嬉しくなってくるのだ。
また、この絵本の魅力はなんと言ってもこの校長先生のキャラクターだ。一見頑固な意地悪じいさんかと思いきや、実は素知らぬ顔で憎まれ役を引き受けつつしっかりと子どもの持てる力を引き出す名コーチなのだ。特に私のお気に入りは、嬉しさをこらえた憮然とした表情で柿の実の首飾りをして朝礼台に立つ校長の姿。本当は子どもが好きでたまらないくせに、つい憎まれ口を叩いてしまう校長の分かりやすい偏屈ジジイっぷりがたまらない。
子どもの絵に定評のある林明子さんが描く主役級の大人は珍しいが、オトナならではの人間的魅力がばっちり伝わる表現力はさすがである。
 
 
モノがあふれる今の時代に親をやっていると忘れがちなことがある。それは、必要が発明の母ならばその逆もまた真なり、ということだ。つまり、遊びへの情熱から生まれる発想の豊かさは、与えられる物質の豊かさに反比例してしまうらしいのだ。私がそれを実感として分かるのは、自分がかつて無分別に玩具を買い与えて子どもの豊かな遊び力をスポイルしてきた張本人だからだ。
 
きっかけは8年前。初めての子に舞い上がって玩具を買い込むうちに、親の自分が玩具の世界にはまってしまった。特に木製玩具や輸入玩具に関しては周囲にオタクと呼ばれるほどで、しまいには内外からオトナ買いで取り寄せあっという間に家中が玩具だらけになった。もちろんとても遊びきれず、一軍二軍三軍と分けて時々入れ替えながら子ども部屋に置いたりもしたが、子ども達の興味は散漫になるばかり。そんなある日、色とりどりの玩具の山を前に子どもが言った。
「あーあ、たいくつ!」
平手を食らったようなショックと共にようやく目が覚めた私は、その日からさっそく玩具のリストラに着手。子どもたちと相談しつつ、片っ端から売ったりあげたり寄付したりで処分した。残ったものは、ごくシンプルな積み木とブロック、文房具一式、折り紙・ビー玉・布・紐などの素材系、厳しい審査をクリアしたぬいぐるみオールスターズ、ジグソーパズル、ルールの単純なボードゲームとカードゲーム、楽器類とボールや乗り物などの遊具類が少し。ああ、こうして書き出すとまだまだ多い…(^^;)
 
玩具がごっそり減った我が家で子どもたちが退屈しているかというとむしろ逆で、毎日とても楽しそうに遊んでいる。最近は家で遊ぶ時間のほとんどを工作とごっこ遊びに費やしているようだ。工作では、家中の不要品をかき集めては競うように謎の物体を作りまくる。おかげで激化した空き箱争奪戦の飛び火がくるわ、せっかく玩具が減ってスッキリしたはずの部屋が余計散らかるわで親は泣けてくる。一方ごっこ遊びの方は最近読んだ絵本と映画にインスパイアされるらしく、「親を亡くしたベジタリアンのあざらしと、その飼い主となる心やさしい鮭の出会い」など、端で聞いているとそのまま絵本になりそうなシュールな世界が展開されていて面白い。
これが8歳と5歳になる子どもの遊びかというと何だか幼稚な気もするが、衰えた遊び力のリハビリとしては上々だろうと、ヒソカに母はホッとしているのだった。